靖国神社参拝について

平成18年8月16日

 今から61年前の8月15日、天皇陛下の「玉音放送」によって戦争の終結が日本国民に伝 えられましたが、当時の人々はこのことをどのように理解していたのでしょうか。一言で 言い表すことは出来ませんが、「敗戦の悲しみと終戦の安堵感」が入り混じっていたのでは ないかと私は考えております。何故なら、国からの命令とはいえ、愛するものたちを残し て戦場へ向かう兵士や、その尊い命を犠牲にしてまでも国を守ろうとする気持ちの中には、 「敗戦」という二文字は考えられない存在ではなかったのか。そして、それが現実になって しまった悲しみは、死ぬことよりも辛かったのではないかと考えてしまうからです。                                                                         

 この様な悲しみ悔しさと共に、これ以上の犠牲者を出さなくてもいいという思いが、終 戦の安堵感へとつながっていったのではないかと推測するからであります。                                                                               
 私は、毎年この日に靖国神社へ訪れますが、その理由には、前述した「敗戦の悲しみと終戦の安堵感」を忘れることなく、国のために尊い命を犠牲にした先人たちに対する深い哀悼の気持ちと、今に生きる私たちが今後二度と戦争という過ちを繰り返さないための誓いをするために参拝をしています。                                        

 最近ではこの問題に対し、マスコミがいつになく騒ぎ立てておりました。それは、小泉首相の靖国参拝公約が実現できる最後の年であるからに他なりません。                                                                                      

小泉首相の靖国参拝について朝日新聞の社説では、「7月の世論調査では、参拝反対が57%で、賛成の2倍に達した。新聞も大半の全国紙、地方紙が反対の立場だ。」とし、首相参拝を「支離滅裂」と取り上げて批判しております。また、読売新聞に真意を確かめたところ、「首相参拝は、慎重に対応するべきで、決して賛成ではない」との回答がありました。                                                                                                                          

 確かに、一国の首相が靖国に参拝する問題について、賛否が分かれる議論は今までもありましたが、最近では首相にとどまらず、一人の国民が靖国に参拝することすら素直に出来ない状況があるのではないかと感じており、私自身とても不愉快な気持ちを持っております。靖国参拝反対論として、一つは、中国、韓国が反発する。二つ目は、A級戦犯が祀られている。三つ目は、政教分離を定めた憲法20条違反。これら三つの問題が取り上げられていますが、私は三つとも全ておかしな論拠ではないかと思っています。その理由は、日本国内の行動に対して何故他国が批判をするのか。或いは、何故その批判を受け入れるのか。また、自存自衛のため避け得なかった多くの戦いに命を捧げた全ての英霊に対し、感謝の気持ちを持って参拝するのであってA級戦犯だけではないこと。さらに、憲法19条には、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」とあり、21条1項には「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」とあります。つまり、総理大臣にも一人の人間としての信教の自由は保障されているということです。                                                                                                      

 これらを勘案すると、一国の首相も一人の人間である以上、靖国参拝は当然の権利ではないでしょうか。マスコミは、首相に対し「何故、靖国に参拝するのですか」と尋ねますが、私は、靖国参拝反対論者に「何故、靖国に参拝しないのですか」と逆に尋ねたいのです。                                                                                           

私の考え方は、大筋で小泉首相と同じ意見ですが、具体的に二つだけ考え方の違いがあります。                  
一つは、A級戦犯に対する認識について、あの7人は戦争の責任者であって、犯罪人ではないと思っていること。二つ目は、靖国参拝は個人の自由であるため、選挙公約などにしてはならないということです。 あの戦争から何か得るものがあったのでしょうか。 多くの犠牲者と、悲しみだけが残った戦争から人は何も学べなかったし、何も得てはいません。 私は、靖国参拝を、二度と戦争を繰り返さないという、不戦の誓いを新たにするためと、その思いを語り継ぐためにこれからも続けていくつもりです。                                                                                 

社会を斬る!「第三話へ」

越谷市議会議員    伊藤 おさむ

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